がん闘病に対する医師・患者の意識調査に疑問

北海道新聞の「がん患者、最後まで闘病81% 医師は19%とギャップ」という記事を見て、例によって数字を強調したい印象操作の意図が見えるなと思った。

ざっとネットを検索してソースを見つけられなかったので、新聞記事から検証してみる*1。雑誌などで元文献を見られたらまた考えよう。

下記に全文を引用。

がん患者、最後まで闘病81% 医師は19%とギャップ(01/14 17:17)

 がん患者や医師らを対象にした死生観に関するアンケートで、望ましい死を迎えるために、がん患者の81%は「最後まで病気と闘うこと」が重要と回答したが、医師は19%だったとの結果を、東京大の研究グループが14日、発表した。

 看護師も30%にとどまり、医療側と患者側の意識の違いが浮き彫りになった。

 がん患者はどのように死を迎えたいと望んでいるかを探り、終末期医療の在り方に役立てる狙いで調査。東大病院の放射線科外来に受診中のがん患者と同病院でがん診療に携わる医師、看護師ら計1138人が回答した。

 「やるだけの治療はしたと思えること」が重要という回答も患者の92%に対し、医師51%、看護師57%と、大きなギャップがあった。

 一方「体に苦痛を感じないこと」「家族と一緒に過ごすこと」などは患者も医師も大半が重要とし、差はなかった。

 調査した宮下光令講師は「医療従事者の回答は、現実や実現可能性を反映していると思えるが、自らの価値観と患者らの価値観が必ずしも一致しないことを自覚すべきだ」と話している。

調査自体は面白い。記事に名前がある宮下光令先生は看護学が専門とのことで、日本緩和医療学会の理事であったり、緩和ケア普及のための地域プロジェクト(厚生労働科学研究 がん対策のための戦略研究)にも名前を連ねている方であり、少なくともゴミ研究ではなかろう。ただ、厚生労働省から金が出ていると、結果にある程度インパクトが求められバイアスがかかる場合もある*2

調査に見えるバイアス

まず、「最後まで病気と闘うことが重要とした医師」が19%という数字は、私の印象だがこれでも多く感じる。対象が「東大病院でがん診療に携わる医師」とあり、医師全体ではない。診療科や医療機関による差は恐らくあり、例えば血液腫瘍*3をみる医師と、消化器腫瘍をみる医師とではズレがあると思うし、「がん診療に携わる」と一括りにされているが、がん治療に携わる医師と緩和医療に携わる医師もズレがあると思う。また、東大病院は三次医療機関で、高度先進医療の「最後の砦」*4であるが、その一施設のみの調査である点もバイアスになるだろう。

次に患者側だが、対象が「放射線科外来に受診中」である点は大きな偏りである。基本的にはまさに「がんの治療中」であり、「これ以上の治療は困難」という患者は外れている*5

「最後まで病気と闘うことの重要性」を「現在治療中」の患者にアンケートをして、81%が是とした。結果をそのまま解釈すればよいが、これを「患者一般」の意見の様に扱うのは無理がある。

患者と医師でイメージできるものが違う

実際の質問をちゃんと見てみたいところだが、「最後まで病気と闘う」の「最後」で医師がイメージするものと、患者がイメージするものは恐らく違う*6。医師にとって「がんの最後」とは、「可能な限りの治療を経て、(選択肢としてはまだ治療のオプションが残っているとしても)これ以上の治療は益よりも害が大きく、苦痛を増やし命を縮めると考えられる状態」で、およそ一致すると思われる。

「治療中の患者」が質問票を見て、果たして上記をイメージして答えたか。また、「病気と闘わない」ことについて、医師なら「がんの治療は行わないが、痛みなどの症状を可能な限り抑える緩和医療を継続する」と考えるが、患者は「がんの治療を中途で放棄する」「医師に見捨てられる」と考えはしないか。

記事の最後に、調査した宮下光令先生のコメントがあり、「医療者は患者の価値観とズレがあることを認識せよ」という戒めになっている。ズレがあるのは当然で、自戒せよと言うのも良いが、「医師19%、患者81%」の数字はインパクトを狙った誘導結果に見える。

少なくとも、記事のこのままでは意味のある調査結果に見えない。例えば、「がんと診断された患者全員」を対象に「今後、"医師の考える最後の状態"になった場合」の質問とするか、対象を「現在"病気の治療を行なわず"緩和医療を受けている患者」とするか、そういう数字が併せて必要だろう。

*1:Yosyan先生の記事みたいだが。

*2:研究デザインの段階で既に、半分意図的に、バイアスが混入する。

*3:高齢でも化学療法の効果が期待できることが多い。

*4:他の病院で手に負えず紹介された患者が集まる。逆に「治療不可能」な患者が他へ送られて居なくなってるかも知れない(東大病院がそうかは知らないが)。

*5:例外的に緩和医療でも骨痛の軽減に放射線を使うこともある。

*6:患者はイメージも湧かないかも知れない。

Palm Pre発表に寄せて、スマートフォン再考

数年前から、携帯電話にスマートフォンというジャンルがある。Palm OS携帯がフェードアウトし、しばらくPocket PC搭載の携帯電話とほぼ同義であったが、最近になってAndroid携帯やアップルのiPhoneが加わって表舞台に出てきた。最近電車の中でiPhoneをいじっている姿*1もよく見かける。

スマートフォンは広義では情報端末の機能を併せ持った携帯電話、といった位置付けなのだろうが、一般の携帯電話も最近はワンセグGPS、音楽、ムービー、フルブラウザと非常に高機能であり*2、単に「できること」では大差がなさそうに見える。あえてスマートフォンの特徴を挙げると、QWERTYキーボードが付いている点であろうか*3

ここで、Palm Preが登場。記事を見ると細かく「売り」の機能もある様だが、市場へのインパクトとしては、「スマートフォンの機種が増えた」以上のものではないと思う。

ただ、売れるとか売れないとかいう話ではなく、時代の流れとしてスマートフォン市場が広がってきたのかな、と思った次第。ウェブ進化論は色々言われているが、メディアとしてのネットにインフラが追随して、新たなニーズが出てきた状態。

電子メール、IM、チャット、Twitterと、常に新たな「プロトコル」が出現し、掲示板、ブログ、ソーシャル何たら、Google何たらと、常に新たなサービスが出現する。価値を見い出す層にはあっと言う間に広がり、便利に使えるものはさらにじわじわと広がる。リアルタイム性の高いものはモバイルに親和性が高く、現在「じわじわ」のフェーズなのだと思う*4

Palm Preのスペックを見ると惹かれる部分も多く、時代を言い訳に、そろそろ物欲に負けてスマートフォンを買ってしまいそうな気がする。

*1:両手で使っている。

*2:制限もあるが、iアプリサードパーティのソフトも入れられたりする。

*3:個人的には、この意味でもiPhoneスマートフォンと呼びたくない。iPhoneiPhoneであろう。MacMacである様に。

*4:使う人はとっくにW-ZERO3等を利用している。

うごメモ問題から、はてなの方針を考える

「ゆうた」という自称小学生の「悪神」が、うごメモに投稿した動画が話題になっている。小学生にはあるよねー(かわいいじゃん、放っておけば)という意見から、オンラインゲームなら即刻BANでしょう(運営がきっちり対処すべし)という意見など、寛大なものから厳しいものまで色々だ(投稿者ではなく運営側に対して)。ざっと見ると、子供が見るメディアで、2ch的な煽り文化も流入して、子供が悪意にさらされるのが好ましくないという意見が多そうだ。少し引いた視線で、子供にネットリテラシーの教育の場が必要であるという意見も。

こくばん.inの中の人も心配していたが、はてなのこれからの対応が気になる。

もう一通り議論が出た感もあり、特に目新しい意見がある訳でもないが、はてな側の「自浄作用に期待している」対応について検討してみる(自浄作用を信じているはてなの運営はユル過ぎ、という意見とは別の角度で)。

はてなの方針は、私の印象では、運営側による監視で対応するのは例外的なケースに限り、モラルをルール化せず、システムでの運用を試みている様に見える。ゲームで言うと、禁止事項を増やさず、ゲームバランスの調整で乗り切るといった所か。

はてな文化」の元になるはてなの主要サービスを少しマクロに見ると、ブログやソーシャルブックマークグループウェアなど単体サービスの集合ながら、キーワードやスター機能などをハブに、相互にネットワーク化して、ユーザー同士のコミュニケーションの敷居を下げる働きに見える。Twitterプロトコルと言っても良いぐらいのもの(サービスってレベルじゃないぞ)を作ってしまったが、はてなは、インフラであろうとしている様だ。

これまでの「はてな体質」をふまえると、社会実験なのではと思えるぐらい、ユーザーの行動に干渉せず(システム面でも直す所はさっさと直すのに、直さないところは放置)、それがはてな文化とかはてなクオリティとか、それに付いて行けるユーザー同士の一種独特なコミュニティの土壌となっている印象だ。

個人的には(管理者でなくユーザー目線だが)、ゆうた君のこの投稿がもし確信犯的な釣りなら、これだけの反応が釣れて思惑通りだろうと思うし(悪質だが、ある意味優秀なはてなー)、もし小学生にありがちなガキの言動に過ぎず、直コメントで容赦なく叩かれて涙目でも、ブクマコメントで子供扱いされて不本意でも、投稿者本人にはいい授業になってるのではと思う。一般ユーザーから見て不快な投稿で溢れる問題について、システムの工夫で改善できるかが、はてなの腕の見せ所なのだろう。

後は保護者が見て許容できるかどうか。フィルタリングの問題に行き着くので深入りはしないが、作品の発表の場に、ニンテンドーDSでしかアクセスできない専用サーバーでなくインターネットが選ばれた時点で、総合的に、はてなの思惑を外していない気がする。

一方、任天堂的には、あまり面白く思っていないのではと思う。ユーザーの気持ちに立って些細な気配りを欠かさない、数々の任天堂伝説を残した会社であることを考えると、この騒ぎは放置する訳にいかず、何かしらの対処を検討していると予想される。休み明けの動向に注目。

以下余談。スターのインフレは個人的にはいまいちと思う。DoS回避のシステムはいいけど、ひとつのidでスター5個までとかにすればいいのに。ダイアリーなどとは通貨が違うと考えればOK?

加湿器のフィルタ掃除

職場の加湿器を掃除してみた。サンヨーのヒーターレスファン加湿方式のやつだ。エアコンつけっぱなしで加湿器も稼動しっぱなしのまあまあヘビーな使用環境だ。

まず吸気口のエアフィルタ。ぱっと見は綿ぼこり等なくきれいだったが、カバーを開けたらほこりが舞ったので、掃除機のブラシ付ノズルで軽く吸引。

次は本丸の気化フィルタ。水に浸かる部分より上は、析出した塩類?が固まって、上部はバターシュガー、下部はカズノコの様になっている(説明書には「水あか」と書いてある…)。最初はほんの気まぐれだったが、開けてみて良かった。



説明書通り水ですすぎつつ、こびりついたものを歯ブラシでをこそぎ落とす。前面はまずまずきれいになったが、内部にはばらしたカズノコの様なものがちらほら見える。

そこで、説明書を参照し「汚れがひどい場合」の方法を試す。「塩素系台所用漂白剤」を使うとあるので、我らがキッチンハイターに御登場願い、指定の濃度で指定の時間つけ置く。


全体に黄ばみが取れたが、内部のカズノコ様の汚れはほとんどそのまま残っている。化学的に次亜塩素酸ではダメなのか、繊維の目詰まりの様なミクロのレベルではちゃんと効いてるのか。いずれにせよ、ここで掃除は終了。

これでメーカーの想定通りだとして、見た目の汚れを落とすことよりも、常に湿った状態で使用するフィルタを塩素で除菌する意味の方が大きいのかも知れない。

自宅ではダイニチの加湿器を使っているが、フィルタの掃除には塩素系でなくクエン酸を使えとの事である。開けてみたら汚れは軽微だったので、また今度にしよう。

Nスペ「医師の偏在」

12/21放送 NHKスペシャル「医療再建 医師の偏在 どう解決するか」

個人的な印象を含んだ要約

「妊婦たらい回し事件」などで、救急医療の崩壊、医師不足が顕在化した。

臨床研修制度が悪い。以前は医者になると同時に科を決めて医局に入り、医局が医師の再配置を担っていた。現在は臨床研修の終了後に科を決めるため、過酷な科(小児科など)はそれを経験した研修医に敬遠され、診療科の偏在が起きた。一方、形成外科はたくさん人が入ってウハウハ、教授は満面の笑み。

昔は開業医は夜も診療所にいて休日夜間診療を担っていたが、今の医者には期待できない。

自由開業、自由標榜が悪い。若い勤務医が楽な科を標榜して開業。外科医が、内視鏡内科で開業。美容皮膚科で開業した女医は、大学病院では苦渋を味わったが、開業してウハウハ、化粧テカテカ。

ドイツは日本と違い、国のシステムで医師が配置され、開業が制限されている。都市で開業できず、郊外で開業したある家庭医。休日夜間診療も義務。「最初は不愉快だったが、今はやりがいを感じている」

(ここで私に時間外労働が発生し後半が見られなかった。奈良での県主導のセンター化の取り組みが紹介されたり、スタジオで強制的な医師の再配置が議論になったらしい。)

個人的な感想

以下、NHKは一見ライブ番組や自由討論番組に見えても用意周到、やらせであるという主観に基づく。

スタジオの研修医が、研修医代表みたいな顔して予定調和のつまらぬコメントをし、「自分が大事」な今どきの若い医者イメージを助長させていた。一方、「患者代表」には医療事故の被害者を置いて、流れ無視の自己主張コメントを許していた。

研修医同士の飲み会まで取材して、もともと小児科を目指していた人でも現場を見た後に敬遠してしまう点についてコメントを取ってるのに、問題の現場についてはあっさりスルー。敬遠する側の問題らしい。

そもそも医師の偏在を前提としており、一面を取り上げてそれが主要であるかの様に見せる印象操作を感じた。医療崩壊がテーマのドキュメンタリーで、自由開業、自由標榜の制度がこれだけ前面に出てくるって、どんだけ。

御用放送局的に、医師の強制再配置で現状が解決する様な論調にリードし、いつの間にかそれが定説である(誰かさんが反対するから実現しない)とする布石。臨床研修を1年に短縮する政策の肯定と後押しもバックグラウンドにあるのかも知れない。

※「臨床研修に関するアンケート調査 - 新小児科医のつぶやき」を見ても、(アンケートの結果でなく、実施された意義から)そろそろ医師強制配置法案が出てくるとしか思えない。

途中までしか見ておらず、番組的に結局どうなのかという点は踏まえていないし、妄想も含む。

スバルがWRCから撤退

WRC自体が無くなる訳ではないが…、悲しい話。スバルが出ないWRCなど、社長が出ないジャパネットたかたのCMみたいなものだ。そこいらの青いインプレッサの存在意義が薄れてしまう。

個人的には、自動車のレースとして、レギュレーションされた中でコンマ秒を争うF1にはそれ程の魅力を感じないが、どんな道でもそこにある道を走るWRCや、道なき道を地図を頼りに走るパリダカが好きで、日本勢が強いと応援のし甲斐もあった(日本人ドライバーが強いのは時々だったけど)。もしこれでパリダカから三菱が撤退したらと思うと、昼も眠れない。

アスペルガー症候群の議論で

ネット上では議論に事欠かない。常に「噛み合わない議論」が存在し、色々なパターンがある。

アスペルガー症候群について、先日はてな界隈で議論がなされていた。落ち着いたところで、ひとつ。

発端は恐らく「こころと脳の相談室」で「曖昧な対人関係を理解できずトラブルを繰り返す部下は病気でしょうか」という質問に、アスペルガー症候群の疑いがあると精神科医が回答した記事と思われる。「自分もアスペルガーではないか」「自分をアスペルガーと言うのは非コミュの言い訳」「身近にアスペルガーの人がいる」「アスペルガー症候群なんて存在しない」など、色々盛り上っていた。

特に精神科分野の疾患では、言動からこれはアスペルガー症候群らしいという臨床的アプローチ、遺伝子異常などから生じる一連の高機能自閉症のバリエーションとする病因論的アプローチ、DSMで診断基準を満たすというマニュアル的アプローチなど、病気を診断するのに色々な切り口がある。議論する上で、アスペルガー症候群の診断について共有してないことで、無駄に盛り上っていた感がある。

この記事自体、炎上すると出てくる「まずその言葉を定義せよ」という無粋なツッコミの様な気がして来たので、この辺で。