専門外の人の「無知」を、専門家が責めるのは筋違い
新聞記事にはテンプレの様に識者のコメントが付けられているが、先日見かけたニュースの記事で気になるところがあった。
日光を浴びてはいけない「ポルフィリン症」のため、上半身を覆う黒い頭巾(ずきん)を着用していた鳥取県境港市の高校3年男子生徒(18)に対し、米子署員が職務質問の際に「お前は(アフガニスタンの旧支配勢力)タリバンか」と発言していたことが、6日の県議会で明らかになった。
病気で頭巾姿の高校生に「お前はタリバンか」…警官が暴言
議員の指摘を受け、佐藤幸一郎・県警本部長は「不適切だった」と謝罪した。
二人乗り自転車を見つけたアホな警察官が、黒頭巾の人をタリバン呼ばわりした、という至極どうでもいい事件だ。ここで皮膚科医の大御所がコメントする。
市橋正光・神戸大名誉教授(皮膚科)は「患者には日光を浴びないように黒い服を着るよう勧めている。タリバン呼ばわりは無知によるもので、憤りを感じる」と話している。
素直に読むと「ポルフィリン症を知らず、黒い服の人をタリバン呼ばわりした警察官の無知に憤りを感じる」と読める。善く解釈しても、「世の中には日光を浴びてはいけない病気の人がいて、黒い服で外出するので、黒い服の人を見たらそういう病気の人の可能性を考えるべき」ぐらいか。
だが、こんなレアケースを「無知」として非難するのはズレてる気がする。これが、警察官として具えているべき知識かどうか。非難されるべきは配慮に欠ける余計な一言であって、無知ではない。
上司が部下に「そんなことも知らないのか、馬鹿野郎」と言うのは良いが、コンサルタントが言ったらまずいだろう。専門家が外向きにする仕事というのは、その領域の事柄を担保することだ。「偉そうに教え諭す」のは専門家の仕事と認めるが、その専門家にとっての「常識的なこと」を知らないがために専門外の人を無能扱いするケースを時に見かけ、その度に辟易とする。
上記の記事において、「専門家」の筋違いなコメントのお陰で、記事全体の輪郭が不明瞭になってしまってる、てこと。
医者が病名をでっちあげると、その病名を保証することになる
先日ニュースで「高所平気症」という言葉を目にした。ベランダなどからの子どもの転落事故を扱った特集で、高層マンションで育った子どもに高さについての恐怖心が薄い傾向があることをその様に表現していた。
一般に、ある傾向を持つ集団が社会現象となったときに、「◯◯症候群」と言われることがある。流行語みたいなものなので別にどうでも良いが、それを医者が医者の立場で言うと意味が違ってくる。
医学的に「症候群」と言うのは、複数の症状がセットで出現し、(原因が明らかでなくても)偶然でなくひとつの原因で説明されうる(と考えられる)場合である。例えば、知的障害、先天性心疾患、特異的顔貌、低身長などの共通の特徴を生まれつき併せ持った「症候群」をイギリスのダウン医師が報告し、後に21番染色体のトリソミーが原因であることが判明したダウン症などは有名だ。
「症候群」を提唱するのには恐らく甘い誘惑があり、とりあえず気付いた時言っておけば、後に病名として確立されたときに「○○先生が最初に報告した…」と歴史に名が残る。上記のダウン先生然り、川崎病*1の川崎富作先生然り。
心理学者が言う「ピーターパン症候群」や「青い鳥症候群」などは微妙なケースで、既に定着してしまった感もあるが、あくまで社会現象に名前を付けたものと認知されている。一方、「○○という症状がある人は△△症候群」と医者が言ってしまうと、それが「病名」になってしまう可能性がある。
気になったのは、「高所平気症」とか言ってるのが評論家などでなく織田某という医者である点だ。これを次々とやられると、でっち上げの「病名」が、都合よく「患者」たることを保証することにならないか心配である*2。
「私は青い鳥症候群だから仕事が続かないのは病気のせい(だから公的に援助すべし)」「うちの子は高所平気症だから、落ちたら怪我をする様な場所があるのが悪い」…。こんな話がネタであり続けることを切に望む*3。
*1:別名、小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群。
*2:何十軒もドクターショッピングをした果てに「線維筋痛症」とか病名つけてもらって安住する人々の話とも少し似ている。
*3:これと似た様な話が、学校教育界隈ではモンスター某という形で現実に起きている様であるが。
救急車有料化は、インフラと思っていたらできない
昨今「医療崩壊*1」と言われている状況のひとつの側面に、救急医療が立ち行かなくなってきている問題がある。
救急車の「たらい回し*2」問題がメディアで取り上げられ、これは、需要の増加に対して医療リソースの相対的不足が起きているためとされる。対策として、救急外来のコンビニ受診や、軽症患者の救急車利用を控える(もしくは制限する)べし、という議論があり、一部試みもなされている様だ。
この中で、救急車有料化の話がある。
単純化すると、タクシー代りの救急車利用を抑制しようという意図であるが、反対意見として、本当に必要な人が利用を控えてしまう可能性が挙げられている。事後に「必要であった」と認定されれば*3利用料が減免される等の案もある様だが、抜け穴が多過ぎて練りが足りない。
流れは逆方向だが、小児科無料化の話を思い出した。
無料化すると、夕方の外来はたしかに混雑するらしいのだけれど、それはまだ、覚悟ができていれば何とかなるのだと。
問題なのはむしろ、小児科医療が、患者さん側から見て「タダ」だと思われてしまうこと、 小児科医という存在に、何の価値も見いださない人が増えることらしい。
水は低いところに流れる - レジデント初期研修用資料
無料で提供される救急車は、政策としてはインフラのつもりでも、利用者にとっては「タダ」のサービスなのかも知れない。
そう考えると、思いきり安くていいからやはり救急車は有料化した方がいいのではと思った。それこそ、タダでさえなければ、「お金かかるしな」とすら思わないレベルで、一律で1000円とか*4。
その上で「救急車の出動には、1回に7万円かかり、税金でまかなわれている(うち1000円をご負担願いたい)」と大々的に広告すればよい。非難の行き処がなく、救急車の利用にブレーキがかかるんじゃないかと思う*5。
そして、三菱がパリダカから撤退
先日スバルがWRCから撤退という悲しい話題があったが、またショッキングなニュースを目にした。nikkansports.comより、ラリー界に激震!三菱がパリダカから撤退とのこと。
もしこれでパリダカから三菱が撤退したらと思うと、昼も眠れない。
http://d.hatena.ne.jp/rhea/20081218/1229582574
とか言ってたら本当にそうなってしまった。
以前にも書いたが、パリダカの魅力は、F1のサーキットの様に決められたコースを走る訳ではないところだ*1。各々の自信作である多様な車同士で、地図を頼りに、地形や天候の変化に対処しつつ、マイナーな故障はその場で修理しながらのレース。例えると、中央競馬と、漫画「スティール・ボール・ラン」の違いにも似ている?*2
「パジェロ」や「チャレンジャー」がパリダカでトップを占めてるからこその三菱自工であり、それがなければ、H-IIAロケットのついでに車も作ってる会社という以上のものではなくなってしまう*3。
撤退の理由は経済情勢の悪化によるとのことであるが、再開に期待したい*4。
Googleストリートビューが自治体の「許可」を得るのは難しそう
プライバシーの侵害に当たるとか当たらないとかで問題になっていたGoogleストリートビューであるが、GIGAZINEによると、今後自治体に事前通知することにしたらしい。
Google側は事前に説明しなかったことが問題だったため、そこを改善するという論理である。とにかくナンバーワン戦略のGoogleとしては、ここで問題を避けてラインナップを縮小する訳にもいくまい。
藤田氏は「事前に説明しておけばよかった。日本にはプライバシーを専門に扱う機関がないと判断した。詰めが甘かった。これからは積極的に説明したい」と述べた。
グーグル:「ストリートビュー」今後は自治体へ事前説明
個人的には、事前の「許可」ではなく「通知」としている点が気になった。
知人で、自治体からの予算で半ば公共性のある事業をやっている人がいて、その交渉の苦労話を聞いたことがある。とにかく新しいことを始めるのが大変で、予算はこうで運用はこうで、自治体(住民) にとってこういうメリットがあり、等々を全てお膳立てした上で、さらに紆余曲折を経て予算が出たとの話だった。ただ、一旦予算が下りると後の更新はすんなりと行き、担当者が変わったりすると、もう事業の中身を把握していなかったりしたそうである。
Googleもそこまで読んでかは知らないが、「許可」という高いハードルを狙わず、「事前通知」という絶妙なラインを突いている*1。面倒を嫌う自治体が「許可」を出す筈がないが、一企業の「通知」に対してあえて介入するのもまた"面倒"である。
ストリートビューは面白便利サービスだが、実際に訴訟になったりと問題点を抱えている*2。お役所仕事の妙を突きつつ、一方でお役所のお墨付きを得て責任を分散するという、Google仕事の妙。
著名犬の犬種、覚え書き
犬好きとしては、あの犬の種類が何で、元々どんな性格だったりするかというのは重要なので、思いついたものをメモしておく。
- ジョリィ(名犬ジョリィ):グレート・ピレニーズ
- ヨーゼフ(アルプスの少女ハイジ):セント・バーナード
- パトラッシュ(フランダースの犬):(原作はブーヴィエ・デ・フランドルだが、アニメ版は全く似ていない)
- ポンゴ(101匹わんちゃん):ダルメシアン
- スヌーピー(ピーナッツ):ビーグル
- チョビ(動物のお医者さん):シベリアン・ハスキー
- イギー(ジョジョの奇妙な冒険):ボストン・テリア
- ラッシー(名犬ラッシー):コリー
- マイロ(マスク):ジャック・ラッセル・テリア
- ユンカース(ユンカース・カム・ヒア):ミニチュア・シュナウザー
- ハラス(ハラスのいた日々):柴犬
- クイール(盲導犬クイールの一生):ラブラドール・レトリバー
- ハチ(ハチ公物語):秋田犬
- タロ、ジロ(南極物語):樺太犬
- くぅ〜ちゃん(アイフルCM):ロングコート・チワワ
- 白戸家の父(ソフトバンクCM):北海道犬
- チョビ(ピクシブ社員):黒柴
- しなもん(はてな会長):ウェルシュ・コーギー・ペンブローク
個人的な観測範囲に偏りあり。また追加する。
専門医の質の維持は、患者の専門医指向の状況下では難しい
医療政策では「質」「アクセス」「コスト」の議論があるが、シンプルに「質」と「量」の切り口で。
"土屋了介の「良医をつくる」"というブログから。専門医の「数」を減らさなければ「質」を保てないというエントリで、例によってコメント欄が様々な立場の意見ですれ違っている。
まず、あらゆる議論において、誰がどういう立場で、何を意図して発言しているかが重要であるのは言うまでもない。上記のエントリを読むと、要するに「専門医の定数制」「研修病院の採用枠制限」を行うべきだ、という内容である。土屋先生は御用医師だから、厚生労働省の意図がそうなのだろうとしか言えない。
国民が望むような、健康管理や日常の指導ができる医師、総合的に患者を診ることができる医師
冒頭から「国民が望むような」と書いているが、そもそも国民は、「全ての医師がそうあるべき」と望んでいるのであって、「それを専門とする医師」など望んではいない*1。別の日のエントリで「日本型の家庭医」を支持しているが、厚生労働省が持って行きたい方向の後押しである*2。
これは、残念ながら「国民」のニーズではない。私は個人的には「総合医」の充実は社会のニーズであり、医療全体にはプラスだと考えているが、それには患者側に広く認知される必要があり*3、現時点では理想論だ。
「総合医」や「認定医」に行っている間に治療が遅れた時、それを粛々と受け容れるほどモンスターは甘くはありません。
「総合医」や「認定医」の誤診が許されない以上、「専門医」に向かう患者の流れは止まらない!
(中略)
どうしても『限りある医療資源の効率的な利用』(医療費削減)のために「総合医」制度を推進したいのなら、医療訴訟を禁止する法律でも作るべきです。
私も専門医指向を良い状況とは思っていないが、患者と医者の両方のニーズ*4を反映した大きなベクトルである。それを、「理想論≒政策の方向性」をいつの間にか「前提」とすり替えて、上辺だけ別方向に誘導するのにはあざとさを感じる。
例えば、アメリカの胸部外科学会の会員は4000人程度です。一方、日本国内の胸部外科医は8000人程度。どうして日本の方が人口が断然少ないのに倍もいるんでしょう。僕はおかしいと思うわけですが、今までのように「数が力」だという考え方でいると、それを疑問に思わないでしょう。
アメリカの医療制度の是非は別にしても、いつの間にかアメリカが理想で、そこからずれた日本がおかしいという論理になっている。
専門医の数が多く、それぞれの経験年数が少なければ、質の維持は大変です。むしろ、専門医の質を維持するためには、このくらいの医師数で抑えるべきではないかという英知が出てくれば、その医師のグループは国民から尊敬されるでしょう。
「○○な人々は賞賛されるであろう」という論調は何の情報価値もなく、もはや社会主義国家の指導者の演説レベルである。
現状の「患者の専門医指向(→専門医へのアクセス維持)」とはベクトルが逆の「専門医の質の維持」を、「皆、腕の良い専門医にかかりたいでしょ」というごまかしで「国民」の意見であるかの様に見せる議論のテクニックは、御用医師として秀逸である。
読み返してもどこか引っ掛るエントリだったが、コメント歓迎としながらも、結局は「専門医の定数制」「研修病院の採用枠制限」を推し進めたいのだ、と読むとクリアになった。言い訳(建前)を並べてるだけで中身がないのだ。
医者相手の記事だし*5、それこそ建前上は政府の諮問を受ける立場なのだから、「マスで考えると、政策レベルではこう」という像を素直に示して、その上で現場の意見を求める形にしておけば良いのに*6。