救急車有料化は、インフラと思っていたらできない

昨今「医療崩壊*1」と言われている状況のひとつの側面に、救急医療が立ち行かなくなってきている問題がある。

救急車の「たらい回し*2」問題がメディアで取り上げられ、これは、需要の増加に対して医療リソースの相対的不足が起きているためとされる。対策として、救急外来のコンビニ受診や、軽症患者の救急車利用を控える(もしくは制限する)べし、という議論があり、一部試みもなされている様だ。

この中で、救急車有料化の話がある。

純化すると、タクシー代りの救急車利用を抑制しようという意図であるが、反対意見として、本当に必要な人が利用を控えてしまう可能性が挙げられている。事後に「必要であった」と認定されれば*3利用料が減免される等の案もある様だが、抜け穴が多過ぎて練りが足りない。

流れは逆方向だが、小児科無料化の話を思い出した。

無料化すると、夕方の外来はたしかに混雑するらしいのだけれど、それはまだ、覚悟ができていれば何とかなるのだと。

問題なのはむしろ、小児科医療が、患者さん側から見て「タダ」だと思われてしまうこと、 小児科医という存在に、何の価値も見いださない人が増えることらしい。

水は低いところに流れる - レジデント初期研修用資料

無料で提供される救急車は、政策としてはインフラのつもりでも、利用者にとっては「タダ」のサービスなのかも知れない。

そう考えると、思いきり安くていいからやはり救急車は有料化した方がいいのではと思った。それこそ、タダでさえなければ、「お金かかるしな」とすら思わないレベルで、一律で1000円とか*4

その上で「救急車の出動には、1回に7万円かかり、税金でまかなわれている(うち1000円をご負担願いたい)」と大々的に広告すればよい。非難の行き処がなく、救急車の利用にブレーキがかかるんじゃないかと思う*5

*1:範囲の広い言葉であり、文脈によって意味する所が異なる。

*2:正確には「受け入れ不能」である。

*3:例えば入院になったとか。

*4:「重症だったら免除」の様な付帯条件は不要。境界が不安定な「区別」は運用でケチがつく。

*5:良心を前提にしてるのは甘いかな。

そして、三菱がパリダカから撤退

先日スバルがWRCから撤退という悲しい話題があったが、またショッキングなニュースを目にした。nikkansports.comより、ラリー界に激震!三菱がパリダカから撤退とのこと。

もしこれでパリダカから三菱が撤退したらと思うと、昼も眠れない。

http://d.hatena.ne.jp/rhea/20081218/1229582574

とか言ってたら本当にそうなってしまった。

以前にも書いたが、パリダカの魅力は、F1のサーキットの様に決められたコースを走る訳ではないところだ*1。各々の自信作である多様な車同士で、地図を頼りに、地形や天候の変化に対処しつつ、マイナーな故障はその場で修理しながらのレース。例えると、中央競馬と、漫画「スティール・ボール・ラン」の違いにも似ている?*2

パジェロ」や「チャレンジャー」がパリダカでトップを占めてるからこその三菱自工であり、それがなければ、H-IIAロケットのついでに車も作ってる会社という以上のものではなくなってしまう*3

撤退の理由は経済情勢の悪化によるとのことであるが、再開に期待したい*4

*1:レグという単位でレースが行われる。

*2:もちろん、パリダカにスタンドバトルがある訳ではない。

*3:言い過ぎ?

*4:尚、個人参加のドライバーに対するサポートは続けられるそうだ。

Googleストリートビューが自治体の「許可」を得るのは難しそう

プライバシーの侵害に当たるとか当たらないとかで問題になっていたGoogleストリートビューであるが、GIGAZINEによると、今後自治体に事前通知することにしたらしい。

Google側は事前に説明しなかったことが問題だったため、そこを改善するという論理である。とにかくナンバーワン戦略のGoogleとしては、ここで問題を避けてラインナップを縮小する訳にもいくまい。

藤田氏は「事前に説明しておけばよかった。日本にはプライバシーを専門に扱う機関がないと判断した。詰めが甘かった。これからは積極的に説明したい」と述べた。

グーグル:「ストリートビュー」今後は自治体へ事前説明

個人的には、事前の「許可」ではなく「通知」としている点が気になった。

知人で、自治体からの予算で半ば公共性のある事業をやっている人がいて、その交渉の苦労話を聞いたことがある。とにかく新しいことを始めるのが大変で、予算はこうで運用はこうで、自治体(住民) にとってこういうメリットがあり、等々を全てお膳立てした上で、さらに紆余曲折を経て予算が出たとの話だった。ただ、一旦予算が下りると後の更新はすんなりと行き、担当者が変わったりすると、もう事業の中身を把握していなかったりしたそうである。

Googleもそこまで読んでかは知らないが、「許可」という高いハードルを狙わず、「事前通知」という絶妙なラインを突いている*1。面倒を嫌う自治体が「許可」を出す筈がないが、一企業の「通知」に対してあえて介入するのもまた"面倒"である。

ストリートビューは面白便利サービスだが、実際に訴訟になったりと問題点を抱えている*2。お役所仕事の妙を突きつつ、一方でお役所のお墨付きを得て責任を分散するという、Google仕事の妙。

*1:問題点を微妙に誘導している様にも見えるが。

*2:ここでは、公共の路上の撮影だからどうとか、私有地まで侵入してたとかの議論は脇に置く。

著名犬の犬種、覚え書き

犬好きとしては、あの犬の種類が何で、元々どんな性格だったりするかというのは重要なので、思いついたものをメモしておく。

個人的な観測範囲に偏りあり。また追加する。

専門医の質の維持は、患者の専門医指向の状況下では難しい

医療政策では「質」「アクセス」「コスト」の議論があるが、シンプルに「質」と「量」の切り口で。

"土屋了介の「良医をつくる」"というブログから。専門医の「数」を減らさなければ「質」を保てないというエントリで、例によってコメント欄が様々な立場の意見ですれ違っている。

まず、あらゆる議論において、誰がどういう立場で、何を意図して発言しているかが重要であるのは言うまでもない。上記のエントリを読むと、要するに「専門医の定数制」「研修病院の採用枠制限」を行うべきだ、という内容である。土屋先生は御用医師だから、厚生労働省の意図がそうなのだろうとしか言えない。

国民が望むような、健康管理や日常の指導ができる医師、総合的に患者を診ることができる医師

冒頭から「国民が望むような」と書いているが、そもそも国民は、「全ての医師がそうあるべき」と望んでいるのであって、「それを専門とする医師」など望んではいない*1。別の日のエントリで「日本型の家庭医」を支持しているが、厚生労働省が持って行きたい方向の後押しである*2

これは、残念ながら「国民」のニーズではない。私は個人的には「総合医」の充実は社会のニーズであり、医療全体にはプラスだと考えているが、それには患者側に広く認知される必要があり*3、現時点では理想論だ。

総合医」や「認定医」に行っている間に治療が遅れた時、それを粛々と受け容れるほどモンスターは甘くはありません。
(中略)
どうしても『限りある医療資源の効率的な利用』(医療費削減)のために「総合医」制度を推進したいのなら、医療訴訟を禁止する法律でも作るべきです。

「総合医」や「認定医」の誤診が許されない以上、「専門医」に向かう患者の流れは止まらない!

私も専門医指向を良い状況とは思っていないが、患者と医者の両方のニーズ*4を反映した大きなベクトルである。それを、「理想論≒政策の方向性」をいつの間にか「前提」とすり替えて、上辺だけ別方向に誘導するのにはあざとさを感じる。

例えば、アメリカの胸部外科学会の会員は4000人程度です。一方、日本国内の胸部外科医は8000人程度。どうして日本の方が人口が断然少ないのに倍もいるんでしょう。僕はおかしいと思うわけですが、今までのように「数が力」だという考え方でいると、それを疑問に思わないでしょう。

アメリカの医療制度の是非は別にしても、いつの間にかアメリカが理想で、そこからずれた日本がおかしいという論理になっている。

専門医の数が多く、それぞれの経験年数が少なければ、質の維持は大変です。むしろ、専門医の質を維持するためには、このくらいの医師数で抑えるべきではないかという英知が出てくれば、その医師のグループは国民から尊敬されるでしょう。

「○○な人々は賞賛されるであろう」という論調は何の情報価値もなく、もはや社会主義国家の指導者の演説レベルである。

現状の「患者の専門医指向(→専門医へのアクセス維持)」とはベクトルが逆の「専門医の質の維持」を、「皆、腕の良い専門医にかかりたいでしょ」というごまかしで「国民」の意見であるかの様に見せる議論のテクニックは、御用医師として秀逸である。

読み返してもどこか引っ掛るエントリだったが、コメント歓迎としながらも、結局は「専門医の定数制」「研修病院の採用枠制限」を推し進めたいのだ、と読むとクリアになった。言い訳(建前)を並べてるだけで中身がないのだ。

医者相手の記事だし*5、それこそ建前上は政府の諮問を受ける立場なのだから、「マスで考えると、政策レベルではこう」という像を素直に示して、その上で現場の意見を求める形にしておけば良いのに*6

*1:これがダブルバインドであろうかw

*2:臨床研修必修化から始まり、総合医認定制度の導入への流れなど。

*3:マスコミのキャンペーンで総合医がもてはやされているが、大衆は「総論賛成、各論反対」である。「自分は」専門医にかかりたい。

*4:医者のニーズとは、訴訟リスクの回避である。

*5:直接のターゲットは研修医や学生であろう。

*6:「コメントが政府に届くから」とブログでコメントを求めるのも変な話である。

うごメモ違反投稿の通報に報奨、ただ警察機能は現状維持

やはりと言うべきか、荒れた現状に当初の通報システムだけでは力不足であった様で*1、違反投稿への対応が強化された。「不適切な作品を通報いただいた方に「はてなポイント」の付与を開始します」とのこと。

以下フィクション。

任天堂「金は出すから、早く何とかすべし」
はてな「ちょうどコストかけてシステム作ろうと思ってたとこ。恩に着ます」

はてな(信条として、あくまで集合知に委ねるべきだな。半自動で回る様にならないと意味ないし)
任天堂(コストかけるのそこ? ちゃんとやるって言うから任せたのに…)

閑話休題

これはあくまで「通報」に対する報奨であって、西部劇の賞金稼ぎみたいな存在を設ける訳ではなく、警察機能は運営が引き続き担う。その効果は、「通報にインセンティブを与え、通報の閾値を下げる」ことであろう。つまり、運営の立場としては、「通報されたものの処理は間に合っているが、通報自体が効果的でなかった」ということになる。

結果的にユーザーが見て不快でなく*2、チェック側の負担がオーバーにならずに上手く回る様になれば、成功と言える。ただし、これだけではまだ不足だ。

今回の通報システムは確かに素晴らしいと思います。
ですが、それはあくまで不適切な投稿を見えなくするためだけのシステムであり、場の空気作りには寄与していません。
場を荒らす投稿や下品な投稿、そういったものを根本的に減らしていくためには誰かが啓蒙していく必要があり、はてな市民が率先していい空気を作っていけるかどうか、これから注目していきたいと思います。

「こくばん.in」を運営している立場として「うごメモはてな」を本気で心配してみる

投稿作品自体の空気は別にしても*3、現状コメント欄が酷いことになっている。こちらは規約での「荒らし」認定が難しく、「あぼーん」「BAN*4」は恐らくキナ臭くなる。はてな的にはシステムと最小限のルールで乗り切るのが美しい*5のだろうが、果たして。

*1:投稿数の母数が膨大になれば、パーセンテージは小さくても不適切な投稿の数も増え、実際問題ユーザーの目につく様になる。

*2:これが第一目標だ。

*3:質の低い投稿が溢れるのは、これも「創作」である以上、スタージョンの法則が不可避である。

*4:DSユーザーをどこまでid紐付けできるか。

*5:別の表現をすると「大過なければ良い」。

4月の介護報酬改定の表と裏

1/15に、日本看護協会が「平成21年度介護報酬改定に関する日本看護協会の見解(※PDF)」というニュースリリースを発表した。

内容は、4月からの介護報酬改定で、訪問看護の評価が引き上げられたことを歓迎するというもの。これまでの中重度者や在宅看取りへの評価が手厚くなったことに加え、軽度者の在宅療養に対応する仕組みが新たに設けられた点、特別養護老人ホーム等での看護体制強化への加算が増えた点などである*1

医療崩壊」対策の一環として、舛添厚生労働大臣が取り組んでいた介護報酬の引き上げを、看護師視点で見たものだ。3%では不十分、など色々批判はされているが、かねてからの問題であった介護職員の待遇改善への姿勢は素直に評価したい*2

一方、不穏なニュースを目にした。訪問看護ステーションが指定取り消しになったというのである。参照:「医師の指示書なく看護 目黒の事業所指定取り消しへ」(読売新聞)

恐らく、今回取り消しに遭ったのは特に目立った事業所だったのだろうとは思うが、多くの事業所で多かれ少なかれ同様の事情はあって、今頃戦々恐々としている筈だ。2000年まで遡って査定している点などを併せて考えても、このタイミングは深読みせざるを得ない。

私の脳裏にフラッシュバックしたのは、かつてのコムスン問題だ。介護保険で介護事業が稼げるシステムとなり、多くの業者が参入した。そこで政府の「はしご外し」が行われ、介護事業は儲からなくなった。コムスンは事業維持のため少々無茶な努力をしたが、悪徳業者のラベルを張られ、潰された。

現時点では訪問診療や訪問看護は比較的儲かるシステムになっている。訪問診療をやる診療所や訪問看護ステーションが増えて、ぎりぎり入院*3の患者が在宅療養できるためのお膳立てが整えられると、それを望む患者のためにも良いことかも知れない。

ただ、政策の誘導によるシステムは、また「はしご外し」が行なわれるのでは、という疑念を拭い切れない。この訪問看護ステーションの処分は、同業種に対しての「今後『たとえ経営が悪化しても』一切の不正を見逃さぬ」という表明であり、「あまり儲けることは許さぬ」というメッセージである様に見える。

*1:在宅療養に重きが置かれているところに、実際のニーズとは若干ずれた、厚生労働省的な医療費抑制の意図を感じる。

*2:今や日本看護協会は医師会よりも政治団体として影響力があるので、その意向もある程度反映されたものだとは思うが。

*3:社会的入院も大いに含む。