雑誌カデットの特集、「女医の婚活」

表紙に「会話力」と書いた雑誌が医局に落ちていた。誰か「プレジデント」でも持ち込んだのかと思ったら、日経BPの「カデット*1」であった。見ると実はオモシロ雑誌だった様なので、以下に見出しを抜粋。


「会話力」

  • インタビュー
  • 実態 医師891人に聞いた「あなたは聞き上手?話し上手?」
  • 会話力がないばっかりに、こんな失敗
  • 会話力を磨く!患者編/職場編
  • こんな「医学用語」が会話力を妨げる

女医の婚カツ

  • 未婚アラサー女医座談会 「決めるなら"でき婚"! 相手がいればだけど」
    • せめて35歳までに結婚したい/女豹系看護師には勝ち目なし/男の医者は浮気性、信頼できん!/年収2000万以上が条件/同期で結婚してるのは3割だけ/5回連続デートをドタキャンすれば…/西川史子先生の功罪/見合い話は来るけど医者ばっか
  • 本当に結婚したい?
    • 「結婚したい」人はたった6割/でも、「結婚して幸せ」は8割
  • 婚カツしなきゃダメ?
    • 崩れる男女の需給バランス/恋愛力は30歳から下行する
  • 相手探しの正しい作法
    • 「卒後10年」で黄信号点滅/恋なんて、しなくてもいい
  • 独身男性限定調査「女医のイメージって?」
    • 一般男性の5割は「(女医と)結婚したい」/ただ、男性医師には不人気
  • シンガーソングライター 嘉門達夫 「顔が優しくなったらしいです(笑)」
    • 去年、女医と結婚
    • 「女医さんとの結婚が特別だという意識はありません」
  • 感性アナリスト・随筆家 黒川伊保子 「四の五の言わずに、"つがって"みる」
    • 女性の「良い異性を選び抜く恋愛力」は、出産能力が高い20代がピークで30代になると下行する。
    • 結婚や出産は、恋心とは別に、毅然と賢く遂行すべき。恋に落ちるのを待ってたら、生殖適齢期を過ぎてしまう。
  • 内科医・タレント おおたわ史絵 「スネ夫君はほめて育てましょ」
    • 一般的に女が仕事で頑張っちゃったり、経済力を持ってたりすると、男ってスネるんですよ。すると、女性はもうどうしょうもない。八方塞がりです。

コラム

  • 南淵明宏(大和成和病院院長)
  • 織田うさこ(医師・ブロガー)
    • 美人女医の"婚活"のモットー
  • 岡野俊昭(市立病院閉鎖でリコールされた前銚子市長)
    • 市立病院閉院は市民の命と財を守るため
  • インタビュー 万波誠(宇和島徳洲会病院泌尿器科部長)
    • 倫理委員会のOKが出れば病気腎移植を再開します

個人的な感想

未婚アラサー女医の座談会が、どこぞの三文女性誌かと思うぐらいアホ過ぎて、全文晒したいぐらいである*2。ただ、実際に自分の周りでもこの年代(それより上も?)の独身女医は結構いる気もするし、仕事に没入している様も見ているので、2chばりに「そんな風だから売れ残るんだろ、ざまあwww」と言い切れない事情もある。問題は多面的なのでとりあえず深くは突っ込まない*3

また、黒川伊保子に記事を書かせて余計に女性誌っぽくなってるのだが、面白かったのは、「私は未生殖女性の38歳を『女の38度線』と呼んでいます」のくだり。「女性の『異性の遺伝子を取捨選択する能力』は、(中略)38〜42歳ぐらいが最も鈍くなります。脳にしてみれば、誰彼選んでる場合じゃないからです」「男性の方は、生殖能力がギリギリの女性よりは若い女性の方がいいに決まってるわけで、38歳を抜けると、荒涼としたバトルエリアに突入です」と身も蓋もない。

「会話力」の特集は、それこそプレジデントとかアソシエでありそうな特集の医療現場版で、普通に面白かった。普段からかなり意識している部分だし、実際「面接」が仕事みたいなものだし。ネタレベルの「伝わらない」トークを繰り広げる同業者が一部いるけど、こういう記事で自分も反省することがある*4

上記の記事の他に、「西医体・東医体*5の思い出」とか、亀田総合病院の研修センター長のコラムとか、お勉強のページとかもあったけど、面白くもないので略。

気になったのは、南淵先生が相変わらず「日本に心臓外科医は不足しているが、『なんちゃって専門医』はそこらに溢れている」とか書いていて、この人は本当にこれしか言う事ないのかと何だか可哀想になった次第。

*1:「U35ドクターに贈るWorkstyle Magazine」(非売品)

*2:著作権の問題とかありそうだし、面倒なので略。

*3:医師不足対策の一環で、女医の出産・子育てのサポートを厚くするという話もある様であり、今後の動向が気になる。

*4:他に誰からも指摘されることがないというのは恐い。

*5:西日本・東日本医科学生体育大会の略。

フォーナインズ純正ノーズパッドが残念なことになった

普段使い用メガネのノーズパッドが割れてしまったので、修理に行って来た。

かれこれ5年ぐらい愛用しているフォーナインズのメガネで、ノーズパッドに亀の形をした金具が使われていてそれが良かった。取り寄せになるのも面倒なので純正品を取り扱っている店を調べて足を運んだ。

ところが、店員さん(メガネ美女)の話では、「亀の金具のものは無くなってしまった。今あるフォーナインズ純正のものはこれである」との事で、何の変哲もないノーズパッドに交換された。まあ仕方がない*1。帰ってよく見たら、非常に解りづらいが透明のプラスチックが亀の形にエンボス加工されていた。

交換には全く費用は発生せず、またこのご時世において店側に個人情報*2を残さず終了した。

メガネは比較的単価が高い商品であり、サービス*3として無料でメンテナンスをするのは有効だろうし、我々としてもありがたい。ただ、不況の煽りでコストを削減したいとは言え、イメージ戦略的には、プレミアムな商品の付加価値部分は残しておいても良いのにと思った。「普通のノーズパッドは無料、金具に亀をあしらった純正品は◯◯円」と目の前に並べられたら、純正品を選ぶ人は多いと思う。

フォーナインズのメガネ程度でプレミアムと言い張る小市民の戯言。

*1:美女の言うことは黙って聞く。

*2:会員カードなど。

*3:この店で購入したものではないので、「アフターケア」ではない。

Palm Pre発売に寄せて、モバイルを思う

昔からモバイル機器が好きだ。メモ術や情報整理術とも関係するが、一秒を争う頭の中からのアウトプットは、このご時世でも紙のメモ帳が一番速い。ただ、その編集はデジタルでなければやってられない。モバイル機器の在り方を個人的に振り返ってみた。

テキスト端末という視点から

Foleo*1の発売中止は残念に思った。実物の使用感は解らないが、些細な外出にも持ち歩ける軽量級だったとしたら惜しいガジェットだ。

キングジムポメラは、久々に物欲が刺激された。小型で、入力に特化してるところが良い。大昔、HP200LX+VZエディタ+ATOK 7でひたすらプチプチと入力していた頃に思いを馳せたが、最近はテキストをベタ打ちすることが少ないので思い止まった。

情報端末という視点から

Palmを現在も使用している。ただ、単体の便利アプリをいくつか使うだけの存在で、ほぼスタンドアローンである。

昔はスケジュールもPalmで管理していたが、現在はGoogleカレンダー*2に移行した。キーボードがないGraffitiモデルはテキスト入力に向かず、母艦とのデータのやり取りも面倒なので入力はしない。ストックが必要なメモは、携帯電話で入力して自分にメールする。

大昔、HP200LXに色々データベースも入れてたがあまり活用せず、エディタ以外のDOSアプリはあまり使わなかった。HP200LXのスケジュールは秀逸だったが、結局メインは紙のスケジュール帳だった*3

高機能モバイル≒超小型パソコンという視点から

VAIO Pは非常にいい線を行っている。昔Librettoをサブノートにしてた事もあり、スペック対サイズ比からの有用性が伝わってくる。今はPanasonicのB5サイズLet's noteを持ってるのでガマン。

で、Palm Preは

GoogleカレンダーなどのWebサービス連携機能だけでも欲しい。ネットに繋がって、少しばかりのテキストが打てれば、もう携帯電話を置換できる。後は、ソフトが出揃えば今使ってるPalmも要らなくなるかなあ。

近年、Palm社はPocket PC搭載のスマートフォンを作っているし、BlackBerryも国内キャリアから発売されて、既に上記を満たしてる気もする。自分がPalm Preに惹かれるのは、ジェフ・ホーキンス*4Palmブランドに期待しているからかも知れない。

早いこと攻殻機動隊の様な「補助電脳」を体内に内蔵する世の中になって欲しいのだが、それまでは便利な小型ガジェットを求めて渡り歩く生活が続くのだろう。

*1:キーボード付きで「テキスト入力に適する」という意味で。本当は下記の情報端末のカテゴリである。

*2:外出先では携帯電話でアクセスする。

*3:繰り返しの予定だけHP200LXに入れていた。

*4:「考える脳 考えるコンピューター」

後輩に、知識と体験を伝える

一線で仕事をしてるつもりなのだが、立ち位置的に、下に「教える」ことも仕事みたいになってきた。2年目で初めて後輩ができて以来ずっと我流でやってはきたのが、そろそろ適当では済まなくなってきた。

成人教育理論とかコーチングとか方法論は色々あって、かじった程度だから伝え方も上手でないのは確か*1。でも、「何を伝えるか」というコンテンツのところでいつも難しさを感じている。

特に「on the job training」の場面では、求められるのは経験や知識に基づいた具体的な判断と、具体的な方略。一方、教える側としては、バックグラウンドをすっ飛ばした「結論」は意味がないと思ってしまうから、くどい話、「教科書的」な抽象的な話になってしまう。恐らく流されていると思う*2

大学などには大抵「名物講師」がいて、催し物の様に人気の授業を担当している。名物講師にはその人たるネームバリューがあって、その人ならではの体験を伝えるのが技量なのだろう。一方、教科書的なことを上手に伝えるのが、予備校講師の技量。高校の頃「教科書に書いてることはしゃべらない。行間を教える」という先生がいて、自分はその授業が大好きだったけど、周りは寝てた。今思うと大学入試予備校としての高校ではなく、大学向きの先生だったのかも知れない。

研修医の頃の上司に「魚はやらない。魚の捕り方を教えてやる」と、ひたすら座学的な勉強につき合わされたことがある。すごく「できる」人だったので、当初は上司の時間を使って教科書的な勉強をするのがもったいないと思ったけど、膨大な座学のベースがあって、その上司の実践が生きてるのが滲み出ていた。今もその経験には感謝しているが、同じことを自分はできない。

数年後には放っておいてもその後輩が到達するであろうポイント≒今の自分から、目新しくもないことを教えるだけの簡単なお仕事をしつつ、何とか自分に「ネームバリュー」が付けられないかなと思う今日この頃。

*1:必用に迫られて絶賛勉強中…。

*2:自分が教わる立場だった経験を省みても。

ニンテンドーDSは、既に携帯端末になっている

観光地に出かけたら、ニンテンドーDSiで写真を撮ってる小学生ぐらいの子をちらほら見かけた。両手を前に突き出してニンテンドーDSを構えていて、最初は何をしてるのかと思ったけど、オブジェや建物の写真を撮ってたのであった。

これまで自分の中では、携帯ゲーム機を観光地に持ち込むというのは想定外であった。写真を撮っているのも、「後で写真を加工して遊ぶのかな」などと漠然と考えていた。

しかしそんな姿を何度も見かけるうちに、「自分がカメラ付き携帯電話でやってることと同じではないか」とはたと気づいた。彼らにとって、ニンテンドーDSは常に携帯する「ガジェット」であり、その「カメラ機能」で目に付いたものを撮っていただけなのだ。

連休中の混雑で、イベントをやってる周りには人だかりができていたが、みんなそれぞれコンデジ、一眼、携帯電話など何かしら構えて、実物を見ずに手元の画面を覗き込んでいるのは不思議な光景であった。その中に、ニンテンドーDSの画面を見ながら写真を撮っている小学生が混ざっていたのがまた新鮮だった。

一方、「写ルンです」がまだ現役で使われているのも目撃した。写真を頼まれたお姉さんが、フィルムを巻き上げるのを忘れてシャッターを押そうとしていて、時代の移り変わりを感じたのである。

体験を伝えるのに普遍化しようとすると陳腐になる

どの分野でも、バイブルと言われるテキストがある。先輩達はみんな読んでて、自分も勧められて読んではみても、抽象的なことばかりで実際どうするという段で使えないことがある。

ところが、後になってそういう本を読み返した時に、いちいち妙にツボに入ることがあって、当時の自分の未熟さを認識したりする。

学生時代、部活の飲み会に現れたOBの精神論に近いアドバイスを拝聴しながら、「現場を離れるとダメだな」と思っていた。今考えると、経験や教訓をシンプルに伝えようとすると、どうしてもありきたりな言葉に集約されてしまう気がする。

ある時たまたまカーネギーを読んでみたら、思ってたより普通でちょっと拍子抜けした。「当たり前なんだけど、この当たり前がなかなか出来ないんだよねー」という感想を持っただけだった。もしかしてと思い他の本もいくつか読んでみたけど、大体似たような感じ。

マルチ商法に関する俺の体験談を書く - sunomononanoの日記

特に自己啓発系のロングセラーでは、偉い人の言葉がシンプルに集約されて、「当たり前みたいな」陳腐な表現になってしまっていることがある。

逆に、OBや教師の説教で、シンプルにまとめるのが上手でない人は、話が長い。ただ、抽象化したまとめよりも、具体的な「経験」の方が聞く方にとっては大抵有用だ。

自分が教える立場の時も、汎用性とかを考えて気の効いたことを言おうとして、あいまいな表現になってしまうことがある。反省*1

*1:このエントリとか。

デジカメプリントで、フィルムカメラの終焉を感じた

先日、久し振りに印画紙にプリントした写真*1が必要になって、デジカメを持って写真屋に行った。前からデジカメプリントなるサービスがあるのは知っていたが、初めて利用してみた。

店頭の端末には色々なメディアに対応したカードリーダーが付いていて、そこに持参したSDカードを挿して画面から「デジカメプリント」を選ぶ。メニューには「ケータイからプリント」という機能もあったので、microSDか、赤外線に対応してるのかも*2

SDカードにある写真のサムネイルが表示され、そこからプリントしたい写真を選んで送信すると整理番号が印刷される。それをカウンターに出すと、10分程で写真ができあがった。画質も十分だ。

端末はマウス操作であり、駅の切符販売機ほどには「バリアフリー」でないのがネックと思ったが、居合せた60歳ぐらいのおばちゃんも使えていた。

数年前から、カメラ屋にもフィルムカメラはほとんど売っていない。一眼レフが少々生き残ってはいるが、コンパクトカメラは絶滅危惧種だ。

この転換は300万画素レベルのデジカメが普及した頃にはもう起きていたが、自分はどこかでデジカメは「デジカメ用途」と思っていた。しかし、撮影した「メディア」を写真屋に持って行ってプリントしてもらうという、旧来と同じ手続きがあっさり行われたのを体験して、実感としてフィルムカメラの終焉を感じた。フィルムの現像が近所でできなくなるのは近い将来という気がする。

デジカメプリント簡単だったよー、て話。

*1:一瞬「写真の出力」にあたる単語が浮かばなかった。以前、写真屋にフィルムを持って行き現像&プリントしてもらう一連のサービスを「現像」と言っていた。

*2:未確認。